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トップ画倉庫(その67)

【三江線浜原駅】(2016.09.01〜2016.09.30)
2016年9月16日。JR西日本が三江線の廃止を表明し、石州瓦の主産地江津から、鵜飼と霧の町三次を結ぶ108.1kmのローカル線は、1975年の全通から40年余りでその生涯を終えることとなりました。
いわゆる陰陽連絡線の一つに数えられる当線ですが、全線の大半を江の川に沿う線形から主要都市間の連絡には大きく迂回する形となりました。全通後も定期の優等列車が運行されることなく域内ローカル輸送に特化を余儀なくされた結果、末期には1日の平均利用客数が200人を切るまでの急激な落ち込みを見せるに至っては、元地元民、また一鉄道ファンとしては無念の極みではありますが、廃線も致し方ないところでしょうか。
分割民営化後30年近くが経過し、JR各社間での経営格差が拡大しています。優勝劣敗は世の常ではありますが、インフラ整備維持を一民間会社に背負わせた歪が顕在化したとも言えるでしょう。三江線の例はともかくとして、国全体の繁栄という視点から今一度分割民営化の功罪を検証し、陸海空含めた交通体系のあり方を見直す必要があるのではないでしょうか。
【旧新橋停車場】(2016.10.01〜2016.10.31)
1872年10月14日、日本初の鉄道路線として新橋〜横浜間の29qが開業しました。全線の所要時間は53分、列車本数は9往復という数字は、現在から見ると非常につつましやかなものですが、極東の鎖国をしていた島国が、明治維新より僅か数年で自前の鉄道を完成させたという事実は人類の歴史の奇跡として驚嘆され、その後30年で7000kmを突破した鉄道網の拡大と軌を一にするように、近代化に邁進することとなりました。
その後、現東京駅の開業により旅客営業が廃止された当駅は汐留と改称し、貨物輸送の拠点として長年にわたり日本の物流を支えてきましたが、輸送形態の変化に伴い昭和末期の1986年にその歴史に幕を閉じています
再開発により高層のオフィスビルが林立する現在、往時の面影を偲ばせるのは短いレールと0哩標識のみですが、目を閉じれば今でも客車を連ねた蒸気機関車が出発する光景が浮かんでくるようです。

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