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トップ画倉庫(その74)

【東海道本線大阪駅】(2017.11.01〜2017.11.30)
2017年10月3日。JR西日本の顔とも言える看板路線、大阪環状線で国鉄103系電車が運行を終了しました。高度経済成長期のドーナツ化現象進展により、通勤地獄の激化が社会問題となっていた1964年、満を持して投入した新性能電車101系が貧弱な給電設備のために十分な性能を発揮し得ず、苦渋の選択として現実路線に徹する形でのデビューとなりました。
以後20年、国内では最大となる3500両近くが製造され、縁の下の力持ちとして通勤ラッシュを支えてきた103系ですが、分割民営化後30年を経てなお現役で活躍するとは、さすがに想定外だったのではないでしょうか。
思い起こせば始めて上京した15歳の夏、線区別に色分けされたカラフルな103系に胸をときめかせ、高校時代は可部線の旧型電車置き換えにやってきた1000番台改造の105系にもずいぶんとお世話になりました。カタログスペック的には特に面白みがなく、私鉄で製造最大両数の東武8000系とともに必要以上に忌み嫌われながらも、与えられた環境を嘆くことなく自身の仕事を黙々とこなすその姿は、一サラリーマンとして非常に共感できるところ。終焉の日は刻一刻と近づいていますが、最後まで無事にその責務を全うすることを願って止みません。
【地下鉄博物館】(2017.12.01〜2017.12.31)
今を遡ること90年。1927年12月30日に浅草〜上野間2.2kmが日本の初の地下鉄として産声をあげました。開業にあたっては、地上を走る従来の鉄道から設計思想が一新され、初の車両として登場した1000系は、不燃対策としての全鋼製構造、リノリウム製の床に加えて、今では当たり前となった間接照明や自動扉などの新技術がてんこ盛りの意欲作でした。が、その一方で、利用客にも違和感なく受け入れられるよう、鋼板に木目焼き付け印刷を施した内装など、大筋では従来の木造車のデザインが継承されたあたりに、質実剛健な日本人らしさが体現されています。
戦時中、戦後の混乱期に停滞したものの、戦後の高度経済成長期を経て地下鉄路線網は拡大を重ね、現在では公営、民営(第三セクター含む)合わせた路線長は約800km、利用客は1日あたり1600万人までに増大し、都市生活に欠かせないインフラとしての地位を確立しています。私自身も毎日の通勤で利用していますが、その定時性、高速性は、特に冬季において他の交通機関で得難いストロングポイントであり、社会情勢の変化などにより紆余曲折はあるにせよ、この先100年、200年とその歴史を積み重ねていくことでしょう。

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